Secondary School attached to the Faculty of Education, the University of Tokyo

【行事レポート】宿泊研修・5年生(76回生)

5年生の宿泊研修(10月21日〜24日)は長崎へ。初日は原爆資料館の見学の後、追悼記念館で追悼セレモニーを行いました。その後、グループに分かれての市内ガイドツアー。浦上天主堂をはじめ、市内の戦災遺構を、現地ガイドの方に案内していただきました。2日目からは、平和コース・近代化コース・自然コースの3コースに分かれての活動。

[平和コース]

2日目は、語り部の方から被爆体験講話を聞き、その後は城山小学校〜被爆クスノキを巡るガイドツアーへ。市内に残る戦争の跡を巡りました。3日目は、旧長崎居留地で空き家活用の活動を行っている『つくる邸』のスタッフの方から、現地を巡りながらの活動紹介と、ワークショップ。長崎の過去だけでなく、現在・未来についても知る機会となりました。夜は、希望者でナイトウォーク。夜景で有名な長崎の街の景色を眺めたり、ライトアップされた坂道を探検しました。

[近代化コース]

2日目は外海地区の教会と遠藤周作文学館の見学を通して、長崎に根付くキリスト教の歴史を学びました。その後、フェリーで池島へ。炭鉱で栄えた町の廃墟群の中を散策しながら、猫たちとお昼ご飯。帰港後は出津文化村を見学しました。3日目は、コースの目玉の軍艦島クルーズへ。天気にも恵まれ、かつて明治日本の近代化を支えた島の、迫力ある姿を間近で体験することができました。

[自然コース]

自然コースはバスで島原まで移動。2日目は、現地ガイドの方の案内のもと、絹笠山トレッキングへ。生憎の雨となってしまいましたが、山を歩きながら、島原の豊かな自然の生態系について学習。夕方には島原鉄道に乗って大三東駅を観光。3日目は、がまだすドーム・土石流被災家屋保存公園や定点などを見学し、雲仙・普賢岳の噴火の歴史について学びました。その後、バスで小浜に移動。バイナリーや足湯を巡り、火山がもたらす恵みを体験。宿舎では温泉に浸って、疲れを癒しました。

「平和コース」の生徒による事後レポート

日本と外国の戦争の教育について

〈主題設定の理由・研修を通して明らかにしたいこと〉
毎年8月になると平和のための式典が広島・長崎など多くの被害を受けた地域で行われているが、過去の戦争を振り返り、また亡くなった人々のために追悼を行う国は他にあるのだろうか。そんな疑問から私はこの主題に設定した。このテーマを通して、日本と海外の国との戦争教育との相違点やこれからの日本の戦争教育のあり方について明らかにしていきたい。

〈事前学習でわかったこと〉
事前学習の段階で、日本とアメリカの教育の違いについて調べた。日本の学校教育では、原爆投下の非人道性や戦争の悲惨さを学び、「核兵器のない平和な世界をめざす」という価値観を共有することが重視されている。それに対して、アメリカの教育では「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったのか」などの問いをもとに、生徒が議論やディスカッションを行い、さまざまな意見を出し合う授業が多いという特徴がある。つまり、日本では「戦争や核兵器は悪である」という前提から学びを進めるのに対し、アメリカでは「戦争や核兵器について多様な立場から考える」という教育方針である。どちらも「平和」をめざす点では共通しているが、そのアプローチの方法に違いがあることを事前に理解した。

〈現地調査の方法と結果〉
① 調査方法
1.原爆資料館に訪問する。展示物の説明文などから日本の原爆に関する教育、伝承方法の工夫等を調査する。
2.被爆者の方による体験講話、長崎市内のガイドツアーから過去の日本の原爆投下の惨状、及びその教育について理解、調査する。
3.数名の外国人に原爆資料館に訪れた理由など平和に関連するインタビューを行う。
4.行動班、平和コース内での意見交換を行う。

② 調査結果
1.模型などを用いた没入型の展示が多く、被爆直後の状況や爆風による被害を実感しやすいように工夫されていた。展示物は時系列に沿って作られていたり、被爆者の当時の体験談を映像で見られるところがあったり、ストーリー性があるように感じた。特に、被爆者の証言映像では命の重みを伝える内容が多く、一人一人が感じ、考え、伝えるため場になっていると感じた。また、展示物の説明文には日本語のほか、英語・中国語・韓国語の計4か国語で解説があり、外国人来館者にも理解しやすいようになっていた。

2.被爆者である今道さんの講話では、「過去の日本ではアメリカを人間ではなく怪物だと教育していた」との話があり、さらに「一人一人が平和について考えるべきである」という言葉が印象的であった。また、市内のガイドツアーでは、被爆当時の被害や資料が残る場所を訪問し、山王神社の一本柱や爆風で数センチ動いた岩など、原爆による物理的被害を実際に見ることができ、当時の状況をより具体的に理解することができた。

3.オーストラリア人3名、ニュージーランド人1名、国籍不明の1名の計5名(3組)に対して、平和に関するインタビューを行った。原爆資料館を訪れた理由については、「親族が戦死したことがきっかけ」と答えた人が1名、その他は「長崎観光の一環」と回答した。いずれの来館者も展示を通し5名全員が「涙を流した」と答えていて、被爆の悲惨さは国境を越えて伝わっていることが分かった。

4.行動班および平和コース内で意見交換を行い、各日のまとめを行った。特に2日目の夜には、アメリカに留学経験のある友人から、アメリカにおける原爆投下の教育についての話を聞いた。アメリカの教育内容は事前学習で得た情報と大きな差はなかったが、アメリカの生徒の多くは「戦争を終わらせることができたのなら、原爆投下は正しかった」と捉えているという意見が多く、国による認識の違いがあることが分かった。

〈考察〉
原爆資料館を訪れて、まず初めに外国人の来館者が多いという印象を受けた。多くの外国人が日本を訪れ、被爆の現実を学ぼうとしている。このことは、原爆投下の記憶が日本の問題ではなく、世界の課題として共有されていることを示していると考えられる。

また、これまで平和学習を通して、アメリカをはじめとする戦勝国と日本の平和教育には大きな違いがあると何度も耳にしてきた。しかし、実際に日本と海外の戦争教育を比較してみると、教科書の内容そのものに大きな差は見られなかった。相違が見られるのは、教育の授業形態や伝え方の部分である。

日本では「原爆投下は決してあってはならない」ということ前提に、体験談や資料を通して知識を与えるインプット型の教育が中心であるのに対し、海外では「原爆投下は正しかったのか」や「戦争を終わらせるために原爆は必要だったのか」といった問いを投げかけ、生徒同士が議論を重ねるディスカッション型の授業が多いということだった。

つまり、事実の受け止め方よりも、その意味を考える力を重視している点に違いがあるといえる。また、今回の調査の中で行った外国人へのインタビューでは、私たちが話を聞いた外国人5名全員が、原爆投下という凄惨な過去を知り、「展示を見て涙を流した」と回答した。

対して日本人、特に被爆の経験がない若い世代では、展示を見ても冷静に理解を深める姿勢が中心で、涙を流すほど感情を表に出す人は少ない。このような感じ方の違いは、単なる個人差ではなく、教育の違いによって生まれた価値観の差異からではないかと感じた。

日本の戦争教育は「戦争は二度と起こしてはならない」「核兵器のような危険なものは放棄すべき」という価値観を一律に持つように指導される傾向があるように感じる。それに対して、アメリカを含む海外の国々では、一人ひとりが自由に意見を持ち、多様な視点から考えを深められるカリキュラムが設定されている。そのため、「原爆投下をどう捉えるか」という問いに対しても、賛成・反対などさまざまな意見が生まれやすい。こうした多様な考え方が、展示を見たときの感じ方の違いにつながっているのかもしれない。

私は、日本と海外のどちらの教育が優れているかを単純に決めることはできないと思う。しかし、それぞれの教育には良い点がある。日本では、地域に資料館や被爆地などの「実際の場所」が多く存在し、体験を通じて平和の尊さを学ぶ機会が整っている点が大きな強みである。一方で、海外の教育は多様な立場や価値観を尊重し、主体的に考える力を育む点に優れている。

〈結論〉
戦争や原爆に対する感じ方の違いは、教育の方法や価値観の形成過程の違いから生まれるものであり、そのどちらにも学びを通して利点がある。日本は「命の尊さを伝える教育」を、海外は「多様な意見を認める教育」をそれぞれの強みとして発展させてきた。今後は、互いの長所を生かし合い、日本だけにとどまらず、世界全体で平和を考える教育へとつなげていくことが大切である。

一方で平和を実現していくには、過去を振り返るだけでなく、今を生きる私たち一人ひとりが育てていく必要がある。高校生である私たちにも、地域の人と交流したり、行事に参加したり、学んだことや感じたことを言葉にして人に伝えたりすることができる。小さな行動でも、誰かに話し伝えることで相手に届けば、平和を実現するための一歩となる。大きなことが出来なくても、身近なところから平和を実現していくことが重要である。