Secondary School attached to the Faculty of Education, the University of Tokyo

【行事レポート】宿泊研修・3年生(78回生)

3年生は、10月22日(水)~24日(金)に、福井県小浜市阿納で宿泊研修を行いました。漁業・農業・食文化・林業の4つのコースに分かれて活動し、夜は民宿の方々と交流させていただきました。研修後は学んだことを各自、レポートにまとめました。写真と共に、その一部をご紹介します。

なぜ湾が一つ違うだけで生態系が異なるのか

① 動機
自分がこのテーマにした理由は、先輩の話にある。事前学習の時間、この湾で見つかっていなかった種類の魚を見つけたとおっしゃっていた。同じ県の隣の湾まではせいぜい数キロメートルしかない。気温や湿度、水もほとんど変わらないはずなのにどうしてなのだろうと思ったことが始まりだ。

② 仮説
自分は、湾の地形が作用しているのではないかと考えた。湾の地形によって波の入り方や伝わり方が変わり、それによって住む生き物が変わるのではないか、と。砂浜に住む生き物と、岩場に住む生き物は大きく変わる。それに近いことが若狭でも起きているのではないかと考えた。

③ 現地での学習
自分の仮説は正しかったが、完全ではなかった。先生に聞いてみたところ、湾の地形はもちろん、陸の地形、建物によっても変わるという。湾の地形が北向きに開いているか南向きに開いているかで水温や波の入り方が変わる。入ってくる海流が異なるためプランクトンも違う。そして、川がその湾に流れ込んでいるかにも左右される。川が流れていると、水質が変化しやすい。また単純に塩分濃度が低くなり、汽水域という区分になる場合もあるという。このように、生態系は環境の微々たる変化にも大きく左右される。こういった考えはリアス式海岸と養殖漁業について理解するうえで大切だと感じた。

④ 養殖漁業とのつながり
養殖漁業において大切なのは環境を変化させないことである。そのため、川は流れていないほうがいいし、湾の地形は閉鎖的であるほうが波が砕けてやりやすい。よって、複雑で多くの湾ができるリアス式海岸が養殖に適していると言われるのだ。実際に、福井県立大学かつみキャンパスの場所もそうやって決められている。かつみキャンパスだけほかのキャンパスから離れたところにあるが、それはかつみキャンパスが先端増養殖科学科の研究施設であるからだ。ほかのキャンパスがあるところには大きな川が流れている。また、小浜市が近く水質にも不安がある。そこで、わざわざ半島のようになっている所の山の上にキャンパスが立ったのだ。

⑤ 考えたこと
このテーマについて調べていくうえで分かったのは生態系の脆弱性だ。特定の種類の生き物を野生で保存していくことは非常に難しい。授業で学んだ印象と、現場に行ってわかることのギャップをすり合わせていくことが大切だと思う。

若狭塗箸について考える

私が選んだ地域食コースでは若狭塗箸の箸研ぎ体験を行いました。私はものをつくることが好きで、今回の体験もとても楽しみにしていました。けれど、思った以上に身体的に大変な作業でとても驚きました。また、スタッフの方に若い方がほとんどおらず、都市部から離れた地域の高齢化が目に見えて怖かったです。

塗箸が盛んな理由を考える
体験の際に、塗箸の生産量は若狭塗箸が8割を締めているという話をスタッフの方から伺いました。そこで、福井での塗箸の生産量がなぜ多いのか考えることにしました。若狭地方は古くから「御食国」として京都などの都に食材をはこんでいたそうです。そのため、食器に親しみやすい地域であったと考えられると思います。また、海や山に近く、箸の原料となる木や漆、貝殻などを手に入れやすい地形であったと思います。よって、地理・文化が塗り箸という食器と漆が掛け合わされた産業に適していたと考えられます。地域に根づいた工芸品というのはとても素敵だと思いました。

その他
生きてきて今まで、ご飯を食べるときはご飯にばかり注目して、食器について考えることがあまりありませんでした。正直ケチってもいいし、使用できるという点のみであれば割り箸や紙皿でいいと考えていました。けれど今回の宿泊研修を通して、最悪お金をかけなくてもいい範囲にお金をかけて、ちゃんとした食器を買って使うことは、ご飯を食べるたびに少し贅沢で幸せな気分になれることに気づきました。特に、食事の最初から最後まで触れる箸というのは食器の中で一番重要だと思いました。今回作ったお箸は大切にして、毎食使おうと思います。

箸体験以外にも、地域食コースでは調理実習やマナー講習、鯖街道を歩くなど様々なことを体験し学ぶことができました。行ったことのない土地でたくさんの経験を重ねられてとても嬉しかったです。次回の宿泊研修も楽しみです。

鶏の首を刎ねるということ

【動機】
今回私は鶏締めコースを選択し、かみなか農楽舎にて鶏締めを体験しました。私がこのコースを選択した理由は、合法的に生き物を殺すという行為はおそらく私の人生において今後一生できない体験だと考えたからです。鶏の首を刎ね、解体し、肉にし、それをカレーにして食らう。それは、いつもの生活で鶏カレーを作って食べることとは全く違う捉え方になるはずです。食や命の根底について深く考えられる機会を得ることは自分の人生にとって意味のあることだと思いました。普段、私達はスーパーやお肉屋さんにて販売されているお肉を特に何も思わずに買い、特に何も思わずに調理し、特に何も思わずに食べていると思います。(味などの話は除外します。)肉を買うたびに、調理するたびに、食べるたびに「これは尊い命である」と肉が肉になる前のことに思いをはせる人はほとんどいないのではないかと思います。むしろ、それが私達にとっては当たり前なはずです。そんな当たり前のことが、今回の鳥締めを体験してどのように変わっていくのか、自分がどのように感じるようになるのか。自分自身の変化をレポートできればと思います。

【鶏締めについて】
ニワトリをカレーの具にするまで
① 鶏を両手を使って捕獲し、鶏小屋から出す
※このとき、鶏の羽の下に手を通し、そのまま持ち上げるのがポイント
② 捕獲した鶏を丸太の上に横にさせ、体を抑える
※人数は特に決まってはいないが、2人以上がベスト、玄人は一人でもできる(今回は5人でやった)
③ ナタを持ち、鶏の首を切る
※このとき、鶏の首を早く切ること(鶏が早く死ぬため)
④ 胴体を抑えつつ素早く下に向けて血を抜く
⑤ 血が抜けたのを確認したら、首を下にして吊るす
⑥ 後始末(片付け)をする
⑦ ⑤で吊るした鶏を沸騰させたお湯を張ったバケツに入れる
※このとき、鶏全体に浸すこと(これにより、鶏についた汚れを落とし、⑧がやりやすくなる)
⑧ 鶏の羽を毟る
※細かいところまで
⑨ 鶏の表面(皮)を火で炙る
(これにより、⑧で残った羽を焦がしてなくすことができる)
⑩ 鶏を解体する
※詳しい内容は省略
⑪ 解体したものを皮を剥ぎ、コマ切れにし、肉にする
⑫ ⑪の肉を炒めて、カレーに入れる

ニワトリをカレーの具にして食したあと…
ニワトリをカレーの具にして食すことにより、今まで見えなかった新たな視点や気づきを得ることができました。下記はその一部です。

〇 「鶏肌」は本当に「鳥肌」だった。
→ 日常で「鳥肌が立つ」という言葉を使うことがあるでしょう。そうなのです、「鳥肌が立つ」の鳥肌は本物の”鶏肌”なのです。上記の⑧で鶏の羽を毟った時に、鶏の地肌を見てそう思いました。知っている人がほとんどの事実だと思いますが、実際に自分の目で見てみるとより実感が湧きます。

〇 鶏肉の香りは鶏解体をフラッシュバックさせる
→ いきなりですが、鶏肉の臭みって鶏解体の時の匂いと全く同じなのです。そのため、カレーの具となった鶏肉を口に入れて噛むとあの、血だらけ内臓だらけの様子がフラッシュバックするのです。けれども、よく考えるとそれは当たり前のことなんだと思います。鶏肉は元は生きたニワトリ、私たちと同じ生き物なので。

〇 締めたての鶏肉は思っていたのの5倍硬い
→ 出来上がったカレーを食べて一口思ったことは「……鶏肉なんか、かたい…」でした。硬いことは知っていましたが、本当に想像の5倍は硬かったです。噛む常識が消し飛び、鶏肉は飲み込むものだという認識になりました。

〇 ニワトリの最期の顔は…
→ ニワトリの最期(②)は生きることを断念したような、諦めに満ちた顔をしていました。その顔の通り、①の時とは比べ物にならない、恐ろしいほど大人しく木の切り株のうえに体を押さえつけさせてくれました。私は人間が殺されるところを直接見たことはありません。ですが、もし人間が人間に何の前触れもなく「お前を殺す」といわれて刃物を向けられたら、なにかしらの抵抗を見せると思います。けれども、ニワトリはそうではなかった。

ニワトリの首を刎ねたのは鶏小屋の真横でした。当然、鶏小屋の内側から外の様子を見ることができます。ひょっとしたら、ニワトリは自分も仲間のようにいつかあそこで殺されるかもしれないと思っていたのかもしれません。またあえて、仲間が殺されるところを見せることによって、首を刎ねるときに抵抗ができないように「お前たちは無力だ、何もできない」という考えになるように人間によって、仕向けられたものかもしれません。あくまで、可能性ですが。また、そんな環境で育つ家畜(ニワトリ)のストレス状況についても興味を持ちました。

林業は長生きにつながるのか

私は昔から、林業といえば空気がきれいで、そこにいる人は健康で長生きなイメージがありました。しかし、最近は熊などの怖いニュースが多く、よくよく考えたら自然災害も多いため、長生きできないのかもしれないと思うようになりました。でも私はそんなこと信じたくないので、「長生きできる」という言葉を求めて今回の宿泊研修に参加しました。

お待ちかねの宿泊研修の前に、事前学習で、林業の長生きポイントと死亡可能性ポイントについて調べました。事前学習で学んだことと、実際に現場に行ってわかったことの共通点や相違点、結果的に考えたことから、林業は長生きできるのか、改めて結論を出しました。

まず、長生きの一番のポイントとしては何と言っても空気です。当たり前ですが、それに大きく関係してるのが樹木です。森の空気のリラックス効果、いい匂いには、樹木が自身の身を守るために発散する揮発性物質、フィトンチッドが深く関係しています。フィトンチッドは人間にリラックス効果、抗菌・防虫・消臭効果などをもたらします。ここでキーワードとなってくるのがリラックス効果です。具体的にいうと、ストレスホルモンの抑制、自律神経の安定、そして免疫機能の向上が期待されます。これにより、心身の健康維持やストレスの軽減が促進されます。

つまり林業で働くことは、ストレスが溜まりづらくストレスによる死亡リスクの軽減が期待され、長生きと言えると思いました。実際に敦賀についたとき、東京とは空気が驚くほど違いました。更に、二日目八ヶ峰家族旅行村につくと、空気が澄みすぎて心も浄化されるほどでした。山に入り、尾花さんに「林業は長生きできますか?」と質問すると「うん、空気がやっぱり違うでしょ、そういうことよ」というお言葉をいただきました。山の人もやはり空気の綺麗さは日々感じているようでした。

更に、樹木は人のストレスを無くして、心を浄化しているんだと感じたのは、体験をさせてくださった皆さんの優しさです。林業コースでは八ヶ峰家族旅行村、名田庄総合木炭、小谷製材所の3つの林業に携わる施設に行きましたが、すべての施設のすべての方がとても優しく接してくれました。あの心の余裕は、やはりフィトンチッドのリラックス効果によるものだと思います。

事前学習で学んだことや、実際に見たこと聞いたことから、林業で働くことは、心を安定させ、精神的負担から解放されるため、健康に生きられて長生きにもつながると考えていいと思いました。

次に林業の死亡リスクについてです。事前学習で調べたものとして、伐木作業中の下敷きや、重機による事故、急斜面での転落・転倒があり、林業は他の産業と比較して十倍近く死亡リスクが高いというデータがありました。また、林業は作業に慣れていない若者だけでなく、ベテランも油断から命を落とすケースが多く、危険な産業と言われています。

更に最近は熊の出没が多くなり、注意するだけではどうにもならない危険もあります。事前学習の時点でかなり森にビビりながら宿泊研修を迎えました。当日も猟師の方が熊などの獣害対策について話してくださり、熊の猟犬なども紹介していただきました。やはり熊の被害が多いらしく、様々な対策を取っているようです。

実際山に入ると、一見全然平気そうでしたが、クマの被害で樹皮が禿げてしまった木がたくさんあったり、食い荒らされた果実があったりしました。事前学習で調べたことと、実際体験したことから、林業は危険な場面が多いと分かりました。

林業に携わることは、精神面や体調面での安定は期待される反面、気をつけなければいけない場面も多いとわかりました。そのため、安易に長生きに繋がるとは言えないこともわかりました。自然に囲まれた生活は、もちろん都会では感じられない綺麗な空気や、壮大さを感じることができ、気持ちを落ち着かせる効果もあります。しかし、その分自然災害や野生動物など、危険も伴うことを理解して、これからはこの宿泊研修で学んだことを活かし、自然と適切に触れ合っていきたいと思います。