Secondary School attached to the Faculty of Education, the University of Tokyo

周年式典

60周年式典

祝辞・挨拶・式辞のご紹介

2008年5月29日、東京大学大講堂(安田講堂)において、銭谷眞美 文部科学事務次官をはじめとする、文部科学省からの来賓、田中大輔 中野区長、小宮山宏 総長以下理事、副学長など東京大学関係者、 金子元久 教育学部長以下教育学部関係者、学校評議員、PTA役員、 後援会会長、同窓会長、元教職員、卒業生(旧制東京高校卒業生を含む)、 保護者、そして在校生、合わせて1,102名が出席し、 創立60周年記念式典が開催されました。 この式典を、これまでの本校の歩みやはたして来た役割、意義、 問題点を総括し、本校の将来像を紡ぎだす糸口と捉え、学部との連携・協力、 中等教育学校としてのさらなる特色の展開など、 パイロットスクールとしての役割をはたしていく上で、 来賓の方々のお言葉は、私たちの意を励ましていただくお言葉となりました。 ここに、式典での祝辞・挨拶・式辞の全文を記載します。

式典での 祝辞・挨拶・式辞

銭谷 眞美 文部科学事務次官 祝辞

ご紹介をいただきました、文部科学事務次官の銭谷と申します。 東京大学教育学部の附属中等教育学校が創立60周年を迎えられましたことを心からお慶びを申しあげたいと存じます。 昭和23年という年は、新制中学校・新制高等学校という具合に、 日本の学校制度が変った年でございます。 ちょうど今から60年前になるわけでございますが、今、 全国の新制中学校では60周年を祝う会が様々おこなわれております。 この東京大学教育学部附属中等教育学校も、 先ほど校長先生からお話しがございましたように、 昭和23年に旧制東京高等学校尋常科を前身とする新制中学校として発足をいたしました。 教育学部附属中学校・高等学校を経て、平成12年には、 中等教育のいっそうの多様化を推進し、 生徒一人ひとりの個性をより重視した教育の実現をめざすものとして、 教育学部附属中等教育学校へ移行されました。この間、 中高一貫教育の特色を活かし、1・2年次を基礎期、3・4年次を充実期、 5・6年次を発展期とし、 より実践的な力の育成を目標に据えた教育を6年間で実践することや、 現在多くの中等教育学校で行われている適性検査の原型ともいえる、 教科の枠にとらわれない内容を取り入れた入学試験に取り組んでこられました。 また、東京大学全学の連携・協力および支援のもとに、 その知的資源を活用しながら子どもたちの生きる力を伸ばすことを課題に掲げた「知の総合学習」は、 現在の総合的な学習が学習指導要領に導入される以前から先駆的に貴校独自のカリキュラムとして位置付け、 取り組んでこられました。 このことは東京大学教育学部附属中等教育学校の取り組みが、 いわゆる学歴社会等の社会状況の表面的な変化にとらわれず、 子どもたちが豊かな人生を送るための基礎づくり、 社会に真に貢献できる人間の育成といった、 教育の本質を追求するものであったことの証しとも言え、 教育界において高く評価されているところでございます。 これらの取り組みにつきましては、多くの中高一貫校や中等教育学校が、 貴校の60年にわたる中高一貫教育の実績から、その利点の活かし方、 困難な点の回復のしかたを学んでいると聞いております。 また、大学や学部の教育・研究への協力という側面からみると、 大学と連携して取り組んでこられた双生児研究が、遺伝と環境からの影響、 青年期における双生児間の葛藤の解明に寄与するなど、 大きな成果を挙げてこられました。 このように、 貴校は発足以来60年間に渡りまして大学や学部の教育・研究への協力と寄与、 そして実験的・先導的な教育課題への対応など、国立大学の附属学校として、 これまで教育界に多大な貢献をされ、関係者の皆様方に対し、 深く敬意を表するしだいであります。 どうか生徒の皆さんも、 この中等教育学校の教育というものに自らも思いをいたして、 誇りを持って学んでいただきたいと思います。 現在、教育の世界にはさまざまな課題が山積をしております。先般、 教育基本法の改正、および教育三法の成立をふまえた学習指導要領の改訂がおこなわれたところでございます。 さらに現在は、教育基本法をふまえた教育振興基本計画の策定に向けて調整をおこなっているところでございます。文部科学省としても、 教育環境の改善・充実に尽くしてまいりたいと考えておりまして、 皆様方の一層のご協力・ご尽力をお願いをしたいと存じております。 終わりにあたりまして、東京大学教育学部附属中等教育学校が、 創立60周年という意義深い節目を契機に今後ますます発展し、 教育界に寄与し、そして社会に貢献できる魅力ある人材を多数卒業生として送り出されることを心からお祈りを申し上げ、 私からのお祝いのことばといたします。 本日は、どうも、おめでとうございました。

小宮山 宏 東京大学総長 挨拶

創立60周年記念式典にお集まりの皆様に心から「おめでとう」という言葉を申し上げます。 60年という長い時間を考えたとき、ここにご列席の皆様は、 様々に異なる思いをお持ちなのではないでしょうか。 在校生の生徒諸君にとって、 おじいさんやおばあさんの年齢に近い60才という学校の年齢は実感しにくいかもしれません。 また、卒業生の皆さんからすると、 懐かしい思い出や学び舎での生活もよみがえり、 熱くなるものを感じておられる方も多いことでしょう。さらには、 戦後の学制改革の折、旧制東京高校尋常科で入学し、 本校で卒業した皆さんは、 また違った感慨を胸にいだいておられることと思います。 私にも思い出があります。実は、ここで授業をしたことがあるのです。 4年前のことですから、後期課程の5,6年生の生徒諸君の中には、 私の授業を受けた人もいるのではないかと思いますが、 「地球持続の技術」と題したその授業を熱心に聞いてくれていた生徒諸君の顔が思い出されるのです。 この総長授業・副学長授業は、吉川弘之総長のときから始まり、 もう10年以上も続いていると聞いています。また、 本校に隣接する海洋研究所の教員を始めとして、 本学の様々な学部・研究科・研究所の教員が授業を行っているとも聞いております。 今でこそ、高大連携などという言葉が、 当たり前に言われるようになっていますが、 本校はそのような言葉ができる以前から東京大学の知的資源を活用した教育をしてきたわけです。 こうしたことに代表される本校の教育活動は、 今年3月に行われた本学卒業式総長告辞で私が述べた、 「時代の先頭に立つ」ということそのものであります。 「先頭に立つ」というのは、言うまでもなく、 人より良い成績をとるということではありません。 これまでの時代が作ってきたものを、ただ利口に学ぶだけでは、 「先頭に立つ」ことはできません。「時代の先頭に立つ」ということは、 「時代を創っていく」ということです。つまり、社会のあらゆる場面で、 率先して、先見的な創造力を発揮していくということです。 「時代の先頭に立つ」ためには、 時代のあるべき方向を鋭く感知する能力が求められます。 そうした能力は、「異質の仲間を作り」、 「議論を惜しまない」ことから生まれてくると思います。 今の時代、インターネットで手軽に膨大な情報を得ることができます。 しかし、それらを処理する人間の脳は、 おびただしい細かな情報を集積するのは苦手なのです。むしろ、 人間の脳は、大局的に俯瞰する能力に長けています。 その知識に裏づけられた知性を武器に、 異なった知識や考え方の人たちと議論することから、 お互いの連帯や協調も生まれるのです。 こうした連帯や協調は、 どこかからお仕着せで与えられるものではありません。むしろ、 それらを、自らの「他者を感じる力」を通じて形成していくプロセスこそが、 人間を鍛え、大きな成果を生み出す原動力になると、 私は信じています。 「東京大学の知的資源の活用」を通して、学校の仲間と、本学の学生と、 本学の教職員と多くのことを語り、議論をする。 このような活動を通じた本学の教育は、まさに「時代の先頭に立つ」 教育の実践であると確信しています。 これまで60年間、 本校が実践してきた教育研究の成果を未来に向けて生かし、 新たなる「時代」に向けて前進を続けていくことを願っております。

金子 元久 東京大学教育学部長 式辞

本日ご出席の文部科学省、中野区を始め来賓の方々、 また小宮山総長を始めとする東京大学の方々、附属学校の保護者、同窓生、 そして教職員、生徒の皆さん、 附属学校60周年のこの記念すべき日にお集まりいたただき、 あつく御礼申し上げます。 また銭谷次官および小宮山総長からは貴重なお言葉をいただき、 ありがとうございました。 附属学校は長い歴史をもち、ユニークな教育の場です。 しかしそれだけではなく、日本の教育全体と、教育学部での教育研究、 そして東京大学全体にとって極めて大切な存在です。私はこの機会に、 教育学部を代表して、それがなぜなのかを申し上げたいと思います。 在校生の皆さんには私のこれから申し上げることは少し理屈っぽくて分かりにくいかもしれませんが、 しかしこれは皆さんにも是非聞いておいてもらいたいことです。 あたりまえのことですが、どのような国でも学校教育は、初等教育、 中等教育、高等教育からなっています。日本では初等教育は小学校で、 中等教育は中学校と高等学校で、そして高等教育は大学や短大、 専修学校でおこなわれることになっています。 そしてそのそれぞれの教育段階で、 教育の目的や方法が違ってくるのが当然です。 初等教育ではだれもが知っておかなければならない知識や技能を、 国語や算数、理科、社会などの教科を通じて習うことになっています。 他方で大学などの高等教育では、 社会人になったときに何をしたいのかを自覚したうえで、 それに必要な学問領域での知識を学ぶことになっています。 では中等教育は何をするところなのか。 高等教育への進学が普通になっている現代ではそれは、 初等教育と高等教育との橋渡し、と捉えられるのが普通です。 しかしこの橋渡し、という役割には実は厄介な問題が潜んでいます。 中等教育で実際に勉強していることは、初等教育の教科の延長に過ぎません。 他方で中等教育の生徒にはまだ将来にやりたいことが明確になっているわけでもありません。 なぜ勉強しなければならないのか、 自分にとって学校の勉強は何の意味があるのか、 それが見えなくなりやすいのです。 そのような問題を日本の教育は、入学試験によって回避してきました。 大学に入るためには特定の教科を勉強しなければならず、 またそうした勉強をより効率的におこなうためにはよい高校に入らなければならない。 そのためには、中学で受験勉強をしなければなりません。 入学試験を当面の目標とすることによって、 中等教育の段階での学習の意欲を保ってきたのが日本の教育の特徴であったといって過言ではありません。 そうした姿が様々なゆがみをもたらしたことはこれまでも指摘されてきました。 それだけでなく、大学全入時代を迎えて、 これまでの受験体制自体がすでに崩壊を始めています。 いま日本の高校生のうち家庭での勉強時間が30分に満たないものは約半数に達します。 では勉強時間の少ない生徒が課外活動を一生懸命やっているかといえばそうでもありません。 極端にいえば、中等教育は、 いわば目的を持たない成長の場になりつつあるのです。 しかしそれでよいのかといえば、そうではないことは言うまでもありません。 中等教育には、初等教育と高等教育とをつなぐ結節点としての極めて重要な独自の役割りがあるはずです。 教科でできあがった知識を吸収するだけではなく、自分の力で考え、 調べていくことを身につけること、そしてそれが面白いことを実感すること。 それは大学生や大人になってからの勉強のための重要な基礎です。 また中等教育の期間は、ちょうど子どもから脱皮して、 自分がどのような人間で、将来何をしたいのか模索し、 考えを深めていく過程でもあります。 そしてこの時期には日本語や外国語を理解し、表現すること、 論理的な文章を書くこと。 そうした基礎的な力を確実に身につけていくべき時期でもあります。 こう考えれば、 中等教育の改革は日本の教育改革の中の一つの重要な焦点となるはずです。 しかし実際には初等教育や高等教育での教育改革に比べて、 中等教育の改革は必ずしもすすんでいるとは言えません。 それはなぜかといえば、学校制度の一律的な改革によってなし得ることは大きく限られているからだと思います。 しかし他方で、個々の高校は規模も小さく、 そして個々の先生はなかなか教科の壁を越えることも困難です。 では、何が必要で可能なのか。私はそれは、 高校教育の現場から新しい高校教育像を模索して、それを提案し、 それを日本全体の中等教育の革新につなげていくメカニズムだと思います。 そしてまさにそこに東大の附属中等教育学校の役割があるのではないでしょうか。 第一に附属学校は、既存の中等教育とは違う、 新しい中等教育のあり方を模索することを目的とした組織です。 先生方は個々の教科の専門性もさることながら、 そうした目的に寄与する意欲と、 その力をもつことを条件に全国から集まっています。 自主的な研究活動には全国の高校からの多数の参加者が集まっています。 そしてそうした変革の試みの中では、生徒は実験の対象なのではありません。 新しい教育は生徒の参加なくしてはあり得ないからです。 それに参加すること自体が生徒の皆さんの成長につながるはずです。 第二に、こうした附属学校のあり方は我々の教育学部での研究や教育に極めて大きな意味を持っています。 前に日本の中等教育は極めて大きな問題を抱えていることを申し上げましたが、 そうした実態にこれまでの教育学の研究が応えてきたかといえば、 率直にいってそうとはいえないと思います。それは、現代の教育学が、 研究の論理によって作られたそれぞれの専門領域での発展を機軸としているからです。 そうした学術的な論理にたったうえで、 さらに現実の教育の課題に取り組むことを教育学は求められているのであり、 その際の重要なリンクとなるのが附属学校なのです。そして教育学研究は、 教科の枠を超えた目で学校を見ることによって、 重要な寄与をすることができるはずです。 第三に、中等教育学校は東大にとっても重要な存在であることを協調しておきたいと思います。 言うまでもなく東京大学は、 日本あるいは世界の学術研究の先端を走っています。しかし、 先端的な研究は人間が持っている知識の中での位置づけを得られなければ、 やがてはその推進力を失うのではないでしょうか。 そしてその位置づけを確かめる一つの重要な手段はそれを教育の論理の中においてみることだと思います。 同時にそうした作業がなければ、知識をさらに発展、 展開していく若い世代も成長しません。そうした観点から東京大学は、 小宮山総長のイニシアティブのもとで、 先端的な研究と初等中等教育を結びつける試みを始めました。 そしてそうした試みの重要な核となるのが附属学校です。 また東京大学の学部、大学院の卒業生の中から中等教育の先生になり、 その中から日本の中等教育をになう人も確実に出てきつつあります。 そうした学生の養成にも附属学校は重要な役割を果たすはずです。 このような期待に附属学校がいま十分に応え、 またそれを教育学部や東京大学が十分に支えているかといえば、 必ずしもそうではないかもしれません。 本日の60周年の式典は過去を振り返るとともに、 こうした将来の課題をふまえて、附属学校、教育学部、 そして東京大学が尽力をすることを確認する場でもあります。 そのために教育学部の構成員が今後も尽力する所存であることを申し上げて、本日のご挨拶といたします。

南風原 朝和 校長 式辞

東京大学教育学部附属中等教育学校の創立60周年にあたり、 本校教職員を代表してご挨拶申し上げます。 ご来賓の皆様には、お忙しい中、記念式典にご出席賜り、 誠にありがとうございます。 まだ十代の生徒の皆さんは、 創立60周年と聞いてもピンと来ないかもしれません。 特に1年生の皆さんは、60年どころか、 入学してまだ60日も経っていないのですから、なおさらでしょう。 今から60年前の1948年5月、現在の東大附属がある場所には、 7年制の旧制東京高等学校がありました。 大正時代からの優れた伝統のある学校でしたが、戦後の改革によって、 その前期課程にあたる尋常科は新制の中学校に生まれ変わって東大の附属学校となることとなり、 後期課程にあたる高等科は、第一高等学校とともに、 東大教養学部に組み込まれました。 そのときにできた新制の中学校と、 それに引き続いて新たに創られた新制の高校が、 本校の現在の前期課程と後期課程につながっています。60年前には、 中学1年生と2年生、それぞれ80人ずつが募集され、 その2年前に旧制で入学した3年生とあわせて、 中学校3学年がそろうことになりました。その当時の募集要項によると、 最初の年は旧制のときと同じく、男子のみの募集だったようです。 そして、入学者の選考は東大の文学部構内で行われたようです。 本校創立の2年後の1950年に東京大学に教育学部が開設され、 本校はその翌年に、 正式に東京大学教育学部附属中学校・高等学校という名称となりました。 本校の中高一貫教育は、60年前の創立以来の伝統であり、 さらには前身の東京高等学校以来の伝統であります。まさに、 「筋金入りの中高一貫」と言ってもいいでしょう。 特に1966年からは、本校最大の特色である2-2-2制をとっています。 これは、中高の6年間を、2年間ずつ基礎期・充実期・発展期に分け、 それぞれの期ではクラス・担任を変えずに、 各期に適した課題にじっくりと取り組めるようにしたものです。 特に3・4年生のときの課題別学習や、5・6年生のときの卒業研究は、 自ら学ぶ力を育てる実践として、全国から注目されています。 そして、2000年には、 国立学校としては最初の6年制中等教育学校として生まれ変わりました。 中等教育学校への移行に際しては、総合教育棟が新設され、 教員も7名増員されて格段の充実が実現しました。 学校創立を記念する式典を行うのは、生徒の皆さんと、保護者の方々と、 そして私たち教職員が、こうした本校の歴史と伝統を振り返り、 そのうえに立って、これから先、 みんなで協力してさらにより良い学校にするよう、 気持ちを新たにするためです。 東大安田講堂で行われる本日の60周年記念式典が、生徒の皆さんにとって、 東大附属の生徒としての自覚を深め、誇りを高め、 今後いっそう勉学やスポーツに励む契機となることを願っております。 ご列席の来賓の皆様、およびこれまで本校の発展に多大なご協力を賜りました関係者の皆様に改めて御礼を申し上げ、 今後のさらなるご指導とご協力をお願い申し上げて、 私のご挨拶といたします。ありがとうございました。

寄付金「ぎんなん基金」のご報告と御礼

創立60周年記念の催しの一つとして、「ぎんなん基金」を設置し、 寄付のお願いをしてまいりました。おかげをもちまして、 2008年10月31日現在、総額11,617,000円を集めることができました。 ありがとうございました。 国立大学法人に移行して以来、経済的基盤を整えることが、 本校の教育活動には欠かせないものとなっており、「ぎんなん基金」 を本校の教育・研究活動に役立ててまいりたいと思っております。 以下に、ご寄付をいただいた方のお名前を掲載いたします。 (ご希望されなかった方のお名前・金額は、掲載いたしておりません。)

お名前
東京高等学校同窓会 理事長 三好俊吉
杉本 和江
町田宏子・木村徳子
飯島 一
大矢 鉄雄・和甲
川城 一郎
佐々木 広輝
高橋 康雄
土田 晃透
寺田 眞文
内藤 敬
根來川 嘉子・裕史
廣瀬 洋一
竹松 寛?
石原 融
衞藤 隆
奥田 孝子
鎌田 恭平
儀賀 理暁
今野 蓉子
佐藤 澄子
眞田 登志子
清水 のり代
菅原 亮介
菱田 敦子
福田 八重子
古屋 博
山田 ひろみ
山本 欣弘
渡邉 知保
末森 環 (旧姓 谷田川)
青野 久視
赤津 剛史
秋田 喜代美
秋元 幸司
阿久津 勝利
新井 秀人・けい
飯島 恵
池田 宏太郎
石井 康之
石川 幸男
稲葉 正晃
今泉 顕
入江 仁
岩永 逸美
植村 哲夫
宇佐美 博司
梅田 隆
榎本 泰治
小川 正人
桶田 一岳
小野 茜
小濱 栄治
加藤 義行・恵子
上谷 知範
神山 信介
河野 恵
古賀 昭三
小松 俊一
齋藤 恭子
斉藤 正靖
斉藤 美恵子
酒井 明則
佐藤 明子
佐野 龍雄
猿渡 大毅
澤辺 智雄
芝 祐仁 幸由理
清水 和代
白石 泰一
菅原 秀仁
高杉 政宏
滝 かよ子
時任 英陽
中原 真奈美
中山 実郎
西川 勉
西村 宗慶
西本 秀樹
根岸 まゆみ
野村 智海
八田 秀樹
林 智恵美
林 智雄
早野 路
平尾 聖子
本多 孝忠
増子 杏
間瀬 一
松井 正俊
松下 美智子
松永 昌基
松本 弥生
三塚 晴司
宮城 茂樹
宮崎 淑恵
宮澤 晴彦
宮下 明莉
宮本 直明
武藤 郁子
毛利 隆重
森 和夫
山﨑 達也
山本 常治
吉井 正剛
吉川 行雄
渡辺 修
北野 寿
中村 陽一
飯沼 裕子
池山 幸宏
市村 三恵子
伊藤 颯
今泉 巧
岩崎 久徳
宇田川 晃章
内山 ひろみ
浦野 東洋一
蛯子 由美子
大鍛冶 誠
大河原 弘江
大橋 拓矢
大堀 兵衛
大矢 華綸・哲次
大脇 健
尾形 尊信
岡田 裕紀子
川口 正仁
觀世 元近
木原 啓
木村 健
洪 彩粟
小口 勝久
小林 聡
金 裕之
笹 敬・真理
佐藤 郁子
佐藤 慶子
佐野 靖彦・順子
島津 響子
島田 眞弓
菅野谷 敏彦
菅谷 照英
鈴木 雅人
鈴木 真佐子
鈴木 幸雄
高木 一昌
高取 真理奈
高橋 義彦
高橋 龍之介・正隆
竹内 順
辻本 令子
傳田 弘文
内藤 明
仲 理加
長尾 一明
中川 敦雄
永坂 圭子
永田 穣
長束 宏文
中森 卓爾
奈古 祥子
並木 茂
新美 尚則
西野 宏
西村 正
二宮 修子
根本 和成
波多野 敬
花島 美紀子
浜口 英作
早川 時男
平野 拓哉
廣田 武史
福井 昭史
福田 恒男
藤原 亮一
古川 皓一
別府 明典
星野 智哉
星野 聡美
前迫 恵
桝藤 和義
松井 秀明
松岡 勇介
丸山 千恵子
三谷 昌史
閔 征宇
安野 正雄
矢部 竜二
山田 伸夫
八幡 得久
吉澤 清夏・勝久
吉澤 好之
笠 裕子
青野 茂生
本間 正樹
小計197名
ご希望によりお名前のみ記載
お名前
青木 かつみ 青木 大祐 浅香 眞弓
赤迫 知江子 秋永 みえ子 淺川 俊彦
吾妻 亮侍 阿部 きみ 荒川 公星
荒川 淑子 有田 哲也 有馬 壮一
有村 公徳 飯倉 聡 飯田 恵子
飯豊 辰子 五十嵐 静子 五十嵐 一石
井口 成明 池内 喜美代 池田 常雄
石川 瑞穂 石川 武 石崎 成美
石橋 太加志 石森 澪 (中井麻家子) 板子 博子・博之
市川 伸一 市川 道雄 伊藤 いと子
伊藤 真与 伊藤 菊枝 稲垣 チエ子
井上 俊雄 井上 享子 井上 啓子
井深 美音子 今井 徳子 今井 康雄
今木 美彰・美紀夫 今村 久美子 岩越 司
上野 清 上原 純子 上松 達三
宇治川 和子 内田 仁 梅原 章太郎
浦山 久志 上羽 孝男 江崎 敏彦
江原 勉 遠藤 敏雄 遠藤 秀紀
大井 和彦 大出 あき子 大海 蘭子
大倉 悌志郎 大越 あい子 大越 治子
大島 和雄 大滝 毅 太田 京子
大竹 桂子 大塚 芙子 大塚 悟
金塚 テツ子 大槻 正明 大坪 圭輔
大貫 隆 大羽 圭子 大和田葉子 (大和田一郎)
岡崎 英敏 岡田 敬雄 緒方 文興
岡戸 チイ 岡部 孝 小川 高松
奥山 由起子 小田嶋 枝美子 越智 豊
オリコン (株)小池 恒 影浦 峡 笠原 美佐子
大和田葉子 (梶井直) 梶井 誠 梶川 雅也
賀島 妙子 片岡 隆久 勝野 正章
葛城 忠彦 加藤 一夫 加藤 雪彦
加藤 絹子 加藤 さと  
金澤 康夫 金森 信次 金子 元久
亀口 憲治 苅谷 剛彦 川口 貴之
川口 莉英子 川田 礼子 川辺 小夜子
神崎 宏 神田 成治 菅野 徹
菊池 学 北村 敬二 木地谷 大河
木下 俊行 木村 一彦 木村 重太
行田 和弘 草川 剛人 草野 美和子
轡田 勝弘 工藤 潤一 熊倉 正己
久笠 ミキ 黒澤 教子 黒澤 良祐
桑原 俊作 後援会長 鈴木泰子 小澤 功
小沼 裕一 小旗 まつり 小松 寛
小宮 一郎 金上 貞夫 近藤 裕幸
権藤 智香子 斉藤 和子 齋藤 徹也
齋藤 伸夫 齋藤 良明 斎藤 トキ子
斉藤 光夫 境 迪 佐久間 達也・深雪
櫻井 直之・英子 櫻井 昭博 佐々木 敏子
佐々木 太香夫・彩里 佐々木 栄子 笹原 久子
佐多 尚子 佐藤 和孝 佐藤 学
猿山 マリ子 塩田 恵子 志賀 義俊
宍戸 敦子 篠田 誠 篠原 正夫
篠原 健一 柴若 光昭 清水 千種
清水 長明 霜田 敬 下山 晴彦
白石 サチ子 白石 俊哉 針生 悦子
杉田 雅道 鈴木一史 鈴木 貴美子
鈴木 裕子 鈴木 和子 須藤 和子
須藤 哲 諏訪 浩子 関 恵理子
関塚 浩之 宋 寛 十代田 勇雄
高野 米孝 高橋 八重子 高橋 永子
高橋 俊彦 高橋 邦夫 高橋 澄子
高橋 均 高山 洋子 竹内 尚人
竹内 治子 竹内 穂希 武田 愛子
日月 あすか 田中 幸江 田中 千穂子
田邉 康夫 谷本 宴 田村 喜信
田守 敦子 塚本 登 塚本 肇
津久井 喜久子 恒次 美代子 常田 清
恒吉 僚子 鶴賀 裕人 照喜名 敏光
土方 輝子 戸部 美香 富澤 綾子
富沢 真有 中尾 洋一 長嶋 秀幸
中釜 洋子 中込 貴司 中沢 美奈子
永島 宗行 中島 良樹 中島 良樹
中田 奈穂美 中山 恵輔 梨本 秀樹
梨本 優華・雅子 生井 真悟 奈良 大輔
楢府 暢子 成合 弘太郎 二階堂 弥春
西 明憲 西塚 倫子 西野 カツヨ
西脇 佳子 二谷 喜代子 根本 彰
能智 正博 野崎 雅秀 南風原 朝和
荻 成子 橋本 渉 蓮 紀美子
服部 隆 林 ひろみ 林 広真
原 久子 春川 龍之進 坂野 弘和
東川 朋子 久山 夕稀 日高 孝一
平野 和由 平野 典子 平野 素子
比留間 眞司 廣井 直美 深谷 彰
福島 昌子 福嶋 栄子 福住 禧子
福田 好孝 福谷 徹 藤井 麻緒・達弥
伏見 地予子 細 健夫 細淵 静夫
細矢 和博 本田 由紀 前田 香織
前廣 耀子 牧 栄 巻島 波江
牧嶋 光恵 幕内 絹代 増井 雄二
増田 久子 松井 由美・亜樹 松永 祐幸
松村 博光 松本 明子 松本 真澄・夏澄
丸茂 文江 三浦 邦彦 光岡 志乃
三橋 俊夫 南 幸子 峯岸 努
宮川 康子 宮城 百合子 宮崎 文江
宮澤 伸二 宮田 静香 明賀 美宣
三好 俊吉 武藤 芳照 宗 征克
村石 幸正 松村 厚子 本野 尚久
森 歩太 森井 あずさ 森 瑛美
森田 素子 森松 富美子 森本 方子
諸藤 一郎 八木 通代 安江 幸枝
矢冨 幸枝 柳田 八重子 山内 清香
山岸 邦子 山崎 裕典 山崎 文子
山﨑 裕之 山下 博明 山田 幸子
山田 啓二 山田 美紀 山田 宜裕
山波 学也 山本 美寿江 山本 申策
山本 義春 山本 昌利 弓削 誠志郎
弓達 たか子 横内 まき子 横内 尚子
吉岡 未央 吉田 幸夫 吉永 涼・真子
米原 裕美 和田 遊貴  
  小計 329名
  その他 156名
  合計 682名

(敬称略)