Secondary School attached to the Faculty of Education, the University of Tokyo
東京大学教育学部附属中等教育学校

【行事報告】卒業式

去る3月12日(金)に、令和2年度卒業式を挙行しましたのでご報告致します。

卒業式 学校長の言葉


 皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様には、心からのお慶びを申し上げます。
 振り返って見ると、新型コロナウイルスに振り回された大変な一年でした。皆さんにとっても、本来さまざまな学校行事を通じて本校での学業や生活を締めくくる大事な年であったと思いますが、行事の多くを中止、あるいは簡略化せざるを得ませんでした。それについては、大変心苦しく感じております。

 一方で、私たちがコロナ禍から学んだことも少なくありません。何より、社会には多様な価値観があることを改めて学びました。そして、それらがぶつかり合うなかで、さまざまな主義主張や利害のバランスを図りながら何らかの判断を下すことの難しさも学びました。このような年は二度とないことを願いますが、皆さんが本校における探究的、主体的、協働的な学びを通じて身に着けた力、そしてコロナ禍で身に着けた知恵は、皆さんがこれからの人生において何か重要な判断を下すに際し、必ず役に立つと信じております。

 皆さんは本校を卒業し、教育段階において一つの区切りがついたことになります。しかしながら、区切り目で時間は止まりません。古代ギリシャの哲学者ゼノンの逆説(パラドクス)では、放たれた矢はその瞬間瞬間では空間上のある位置を占めて止まっており、アキレスが亀までの距離を半分詰めた瞬間、さらに残りの半分詰めた瞬間と刻んでいくと、アキレスは永遠に亀に追いつけませんが、実際にそのような「瞬間」は存在しません。世界はつねに動いています。

 そのような中で、皆さんは、これからも自分の進路に関する判断と選択をしなくてはなりません。茫漠とした未来に不安を感じる人もいるかもしれません。思いもよらぬ苦難に襲われ、歩むべき道を見失いそうになることもあるかもしれません。不安や疑念にさいなまれたときに思い出してほしい教訓があります。これは私が考え出したものではなく、私が尊敬する偉人・新渡戸稲造が愛読したトマス・カーライルの『サーター・レサータス』(衣服哲学)の中に書かれているものです。

 物語の主人公トイフェルスドレックは、失恋の末に「永遠なる自己否定」(Everlasting No)に陥りますが、次のようなことに思い至り、そこを抜け出して「永遠なる肯定」(Everlasting Yea)に至ります。訳文を読み上げます。

『ある賢者[ゲーテ]が教えてくれているとおり、「いかなる疑念であれ、それを拭い去ることができるのはただ行為のみである」。また、それゆえ、暗闇や薄暗がりのなかで苦しみもがいている人、黎明が明るい昼の光に変わることを一心に願っている人は、次の教訓を心に留め置くとよい。私を大いに助けてくれた教訓である。「汝のもっとも手近な義務を果たせ」自分でそれが義務だと分かっているものを! 汝の第二の義務は、そのときすでに明らかになっているであろう。(中略)自分の手でなすべきことを全力でなせ』

 さて、手近な義務といっても、昨今のメディアで話題になるような、話のつじつまを合わせるための虚偽答弁のようなものでは困ります。自らの良心がよしとする義務を果たさなければなりません。今日、この瞬間から、自分がなすべきことはなにかと考え、それを一つ一つ地道に成し遂げていってください。

 簡単ではございますが、これではなむけの言葉とさせていただきます。
 本日は、誠におめでとうございます。

2021年3月12日
東京大学教育学部附属中等教育学校長 斎藤兆史